【番外編】フィリピンと宗教




フィリピンに住んでいると、生活の中で宗教が身近になって来る。朝たたき起こされるのは近所の教会の讃美歌のせいだ。ご丁寧に説教の声まで聞こえてくる(何を話しているのかはわからないけど。セブワノ語だから)。街を歩いていると、すぐにベビー・イエスの像にぶち当たる。朝の6時と昼の12時、そして夕方の6時には教会の鐘の音が時刻を告げる、とまあこんな感じだ。
でも考えてみると、子供の頃の日本もそうだった。
近所のお寺の鐘が朝を告げて、夕方5時になると遊びをやめて家に帰るようにと、またお寺の鐘が鳴った。道路のかどっこや、小さな路地のわきでは、小さな地蔵さんや祠などに普通に出くわした。ちなみに僕が育ったのは東京だ。
さて、そういう雰囲気の中にいると、たいていは祖母や親せきなどに迷信深いのがいて、嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるぞ、とか、悪いことをすると神様が見ていてバチがくだるぞ、などと脅かされるものである。宗教的な道徳心が歯止になっていたのだ。
今のフィリピンは僕の子供の頃以上に宗教色が強いので、きっとほとんどのフィリピン人は宗教的な道徳心に縛られているのではないかと思う。ここはカトリックの国なので、悪いことをすると地獄に落ちるぞ、という感じだろう。
フィリピンというのは実にいい加減で、法律などあってないようなところがある。それでも一応国としてまとまっているのは、もしかしたら宗教縛りによる道徳心が歯止めになっているのではないかと感じられる時がある。国の制度のあり様は出鱈目でも、一人一人は非常に良い人たちなのだ。とりあえずみんな、良いことをしたいという気持ちを持っているので、最低限の社会の秩序が保たれているのだろう。
この点は、海の向こうの赤い国とは大きく違うなぁと感じさせられる。あそこの国には神がいないので、みんな自分の利益のことばかり考えて騙したり騙されたりが当たり前なのだ。結果、国ががんじがらめにしないと秩序を保てなくなっている。1984である。