【番外編】はみだし者の生きられない社会は息苦しい。

そんなわけで、ホームレスのことを考えているうちに、ちょっとはみだし者のことを考えてしまいました。
僕が子供の頃は、まだ日本でもちらほらと、いわゆる乞食と呼ばれる人たちを目にしたものです。観光地などに行くと、白い服を着てゴザに座った傷痍軍人も目にすることができました。その前を素通りしてから、大人たちは子供に「あんなのニセモノよ」なんて言っていたものです。
でも、ある日気がつくと、いつの間にか日本の街角からホームレスがすっかり消えていました。
消えていたのはホームレスだけではありません。町の片隅にあった小さな個人商店もどんどん減って行きました。例えば昔はどんな町角にも名刺やらチラシやらを刷ってほそぼそと生計を立てている町の印刷屋さんがあったものですが、いまではすっかり見かけなくなりました。その代わり、ワイシャツにネクタイを締めて、時間通りに出勤してみんなと同じように残業をする人たちでなければ生きていけなくなってしまいました。収入は増えましたが、家族と一緒に食事をする時間は減りました。
ふと気がつくと、なんだかすっかり生活ががんじがらめにされているように思いませんか?
15年ほど前、中国に行って日本語教師をはじめてみると、いやはや、そこには昔の日本にあった風景が広がっていました。乞食のみなさんだけでなく、町の印刷屋さんや個人商店の八百屋やら肉屋やらがあちこちに残っているのです。空気もどことなくのんびりとしていました。
いやぁ、あの頃の中国はくつろいでいたっけ。
もっとも、その後中国は監視カメラだらけになって、別の意味でがんじがらめにされているように感じるようになりましたが。
さてフィリピンは、まだまだゆる~い時間が流れています。ホームレスの本人にしたらそんなこと言っていられないんでしょうけど、でも少なくともここにはホームレス狩りをするような悪質な連中はいないように見えます。こどもも安心して道端に寝っ転がっています。



そういう連中の脇を素通りしながら、ホームレスを受け入れる余裕のある社会がいいのか、ホームレスを見えないところに追いやって財布の余裕を増やしてくれる社会のほうが良いのか、なんて考えていると、なかなか答えは出ないものですね。
まあ、フィリピンでは、誰もが何とか社会の片隅で生きていけるみたいです。
いまのところは。